奈良、宝塚、奈良へと戻り、旅の最終日に親しい友人と京都を堪能しました。
たったの一日しかないということで、1ヶ所選んだのが、ここ、清水寺です。春霞というんでしょうか、なんとなく霞がかかったような遠景を望遠で撮りました。桜の蕾がかなり膨らんでいるとはいえ、まだ咲き始めている様子が伺えないような、そんな微妙な時期となりました。満開の頃はさぞかし見事だろうと、想像するに留めました。
友だちが、面白い話をしてくれました。
大阪に長年住んでいるので、その話し方自体が面白くて好きなのですが、
「清水の舞台から飛び降りる、という表現がありますよね?何か思い切ったことを成し遂げようとする時なんかに」というので「うん、うん」と聞いていましたら、「その言葉が存在した当時、江戸時代ぐらいから、それに因んで飛び降りた人が大勢いたんですが、その生存率、どれぐらいだと思います?」と聞くんです。さぁ~て、
実際に、こうしてその舞台を見ながらの質問でしたので、よくよく考えてみましたが、普通に考えてこの高さから飛び降りたら十中八九死ぬのではないかと思いました。でもそうした質問を大真面目にしている以上、生存率は意外と高かったのかと思い、「4割ぐらい?」と言ってみたところ、彼女は大きく首を振って、「7割や」と。「え~~!」とのけ反りましたね。いくら飛び込むつもりで着地を考えたとしても。。。彼女曰く、本当に何か事を成し遂げようと、命がけで決心を固めていると、死なないんだそうです。私はその話にいたく感動しましたが、自分が今現在、そこまでの心境で生きていないことに思い至り、しばし反省しました。
産寧坂では、立ち並ぶお店をひやかしながら、京都のお土産を買い求めました。特に印象に残っているのが友だちと食べ歩いた阿じゃ梨餅。出来立てのほんのり温かくてもっちりした歯ごたえは絶品でした。お茶に寄った、イノダコーヒーの珈琲も美味でした。
京都も東京の浅草同様、着物姿の女性が多く見られました。やはりこれも街の活性化を目指して、主に外国人に安く着物を着せるサービスが流行っているそうです。確かに着物姿と今日とはとても美しくマッチしますね。着物の柄も明るく華やかなものが主流で、それもまた良いものだと思いました。
下は「ねねの道」の横丁。
こうした横丁は、風情があるだけでなく、穴場のような飲食店があり、覗いてみるだけでも楽しいものです。
こうした昔ながらの日本家屋が立ち並ぶ小道を親しい友と歩くのは最高でしたが、こうして写真を見ていると、良く出来た作り物の舞台装置にも見えてくるところが、何とも皮肉というか、現代人の悲しさかな、と思います。(私だけでしょうか)
それほどに現代の日本の生活様式は完全に西洋化していると思います。
ねねの道から円山公園へ回り、そこでしばし友人との語らいを楽しみました。
最後に八坂神社を通り、祇園へは寄らずに、でも歓楽街の一つの通りをそぞろ歩いた後に、京都駅への帰途につきました。
友だちに観光の手順をすっかり任せてのお気楽な一日でした。今度来る時は私も着物を着て京都の街を歩いてみたいと強く思いました、もちろん、仮衣装などではなく、自前の着物で。
これからどんどん日が伸びて、昼間が長くなります。待ちに待った、太陽の輝く季節です。
今年は楽しいこと、どんどんしよう!と思っています。