2017年3月27日月曜日

春の日本滞在(京都)   Séjour au Japon au printemps (Kyoto)


奈良、宝塚、奈良へと戻り、旅の最終日に親しい友人と京都を堪能しました。
たったの一日しかないということで、1ヶ所選んだのが、ここ、清水寺です。春霞というんでしょうか、なんとなく霞がかかったような遠景を望遠で撮りました。桜の蕾がかなり膨らんでいるとはいえ、まだ咲き始めている様子が伺えないような、そんな微妙な時期となりました。満開の頃はさぞかし見事だろうと、想像するに留めました。

友だちが、面白い話をしてくれました。
大阪に長年住んでいるので、その話し方自体が面白くて好きなのですが、
「清水の舞台から飛び降りる、という表現がありますよね?何か思い切ったことを成し遂げようとする時なんかに」というので「うん、うん」と聞いていましたら、「その言葉が存在した当時、江戸時代ぐらいから、それに因んで飛び降りた人が大勢いたんですが、その生存率、どれぐらいだと思います?」と聞くんです。さぁ~て、


実際に、こうしてその舞台を見ながらの質問でしたので、よくよく考えてみましたが、普通に考えてこの高さから飛び降りたら十中八九死ぬのではないかと思いました。でもそうした質問を大真面目にしている以上、生存率は意外と高かったのかと思い、「4割ぐらい?」と言ってみたところ、彼女は大きく首を振って、「7割や」と。「え~~!」とのけ反りましたね。いくら飛び込むつもりで着地を考えたとしても。。。彼女曰く、本当に何か事を成し遂げようと、命がけで決心を固めていると、死なないんだそうです。私はその話にいたく感動しましたが、自分が今現在、そこまでの心境で生きていないことに思い至り、しばし反省しました。


その清水の舞台から降りてきたところ、随分下ってお水取りの手前の高さから、境内にある五重塔を見上げたところです。やはり桜が満開だったらさぞ美しい眺めだろうと思いました。

産寧坂では、立ち並ぶお店をひやかしながら、京都のお土産を買い求めました。特に印象に残っているのが友だちと食べ歩いた阿じゃ梨餅。出来立てのほんのり温かくてもっちりした歯ごたえは絶品でした。お茶に寄った、イノダコーヒーの珈琲も美味でした。
                                         
 京都も東京の浅草同様、着物姿の女性が多く見られました。やはりこれも街の活性化を目指して、主に外国人に安く着物を着せるサービスが流行っているそうです。確かに着物姿と今日とはとても美しくマッチしますね。着物の柄も明るく華やかなものが主流で、それもまた良いものだと思いました。


下は「ねねの道」の横丁。
こうした横丁は、風情があるだけでなく、穴場のような飲食店があり、覗いてみるだけでも楽しいものです。 




こうした昔ながらの日本家屋が立ち並ぶ小道を親しい友と歩くのは最高でしたが、こうして写真を見ていると、良く出来た作り物の舞台装置にも見えてくるところが、何とも皮肉というか、現代人の悲しさかな、と思います。(私だけでしょうか)
それほどに現代の日本の生活様式は完全に西洋化していると思います。


ねねの道から円山公園へ回り、そこでしばし友人との語らいを楽しみました。
最後に八坂神社を通り、祇園へは寄らずに、でも歓楽街の一つの通りをそぞろ歩いた後に、京都駅への帰途につきました。
友だちに観光の手順をすっかり任せてのお気楽な一日でした。今度来る時は私も着物を着て京都の街を歩いてみたいと強く思いました、もちろん、仮衣装などではなく、自前の着物で。

 
さて、パリ(ヨーロッパ)は、昨日の夜からサマータイムとなりました。日本との時差は7時間。1時間短くなっただけでも、日本との差がちょっぴり縮まったようで嬉しくなります。

これからどんどん日が伸びて、昼間が長くなります。待ちに待った、太陽の輝く季節です。
今年は楽しいこと、どんどんしよう!と思っています。















2017年3月26日日曜日

春の日本滞在 2   Séjour au Japon au printemps 2


こちらは宝塚にあるカトリック修道院、ご受難会の庭の様子です。

前日の18日に到着し、翌一夜明けた朝の裏庭です。
朝食前の早朝、恩師とその友人とで、散策を楽しみました。道の奥は、男子カルメル会の建物だそうです。自然の多く残る、緑豊かな敷地には、朝の澄み切った空気が満ちていました。

記念として恩師との写真を載せたいと思います。




背景が、宿泊した、会の母体である建物です。ちょうど八角形の形をしていて、各階をぐるりと一周できるようになっています。
宝塚に来たのも初めてでしたが、宿泊中に沢山の方々と知り合いになり、これも恩師のお蔭と恵み多き日々に感謝しました。





春先の日本滞在 1  Séjour au Japon au début de printemps 1


久しぶりにブログを更新します。
およそ2ヶ月にわたる日本滞在を終えて、一昨日パリに戻りました。
日本滞在中は、何かと用事が多く、ブログを更新できないでいましたが、パリに戻ってようやく一段落です。今回の滞在では、奈良の恩師を訪ねる旅がやはりハイライトなので、そこから回想したいと思います。

こちらは今月18日の奈良・猿沢の池の様子です。背後に見える五重塔は興福寺の境内にあるもの。夫とも何度も訪れたこの池を出発点として、早朝の奈良を一人で散策しました。


奈良といえば鹿ですね。
鹿は奈良公園を中心にして、その周辺、至るところにたむろしている姿が見られます。

今回は餌の鹿せんべいはあげませんでした。一人であげる勇気がなかったので。ご存知のように、煎餅を持っているだけで沢山の鹿が寄って来ますし、それだけなら良いのですが煎餅を食べようと手ごと噛み付いて来るのでちょっと恐いのです。


春日大社へと向かう参道にいた鹿です。こうしている分には誠に愛らしいのですが、なぜか鹿せんべいを持っている人間に対してはちょっと凶暴なところはやはり動物ですね。飼い慣らされているとはいえ、甘く見ているとえらい事になります。
この奥には、一昨年の春、恩師の友人たちと散策した、万葉植物園があります。


途中、満開の梅も堪能できました。近くにある池は浮身堂があり、名勝の一つとなっています。


今回の奈良への旅では桜は見れませんでしたが、
こうして梅を堪能できました。
また3泊4日の間、晴天に恵まれたことも有難かったです。
その前後の天気はあまり良くなかったのです。

早朝に嗅いだ梅の香りに、しばし時を忘れて佇みました。













こちらは東大寺に至る参道です。
朝早いのに、既に大勢の観光客で賑わっていました。観光客は、主に中国人や韓国人で占められていますが、欧米人も結構いました。




敢えて大仏様は載せませんが、代わりにお参りを済ませた後の側廊からの全貌を載せます。
桜の開花まではあと10日、というところでした。一昨年堪能した、満開の桜を思い起こします。


2017年3月4日土曜日

草間彌生展  L'exposition de Yaoi KUSAMA à Tokyo


日本にいると、色々な用事や人と会うことに集中して時間を過ごすために、あっという間に日数が経ってしまいます。あくまで「一時滞在」という名目なので、毎日の一日々が貴重です。
パリにいても、こんな風に時を過ごせれば、と思うのですが、パリでの方が日常なので楽しいだけでは済まされません。

ところで先月の、つまり2月の22日に、友だちと六本木にある国立新美術館で初日を迎えた、草間彌生展を見に行って来ました。彼女のことは、実はパリで知りました。確かポンピドゥーで見たと思います。これほど多くの作品を見たのは今回が初めてでしたが、彼女のことはアートの世界では知らない人はいない、という知名度の高さです。
彼女のプロフィールは、ここでは敢えてご紹介しませんが、彼女が幼い頃より家庭の不和と精神病に苦しんでいた事は明記しておくべきでしょう。具体的には幻覚や幻聴に悩まされ、特に彼女のトレードマークとも言える水玉模様には常に付きまとわれていたようです。

上の写真は、「夜に咲く花」という名の作品です。
その水玉模様を全体に配色して、異様な花の中心には「眼」があります。
この作品は、入り口に入ってすぐの大きな会場の手前中心に置かれていました。


会場の様子です。
会場は、広いだけでなく、天井の高さもかなりありました。その壁面にびっしりと作品が展示されていました。

初日ということもあって、沢山の人が訪れていました。ただし、閉館前一時間半ぐらいだったせいか、会場内、広いこともあり、一つ一つの作品をじっくり見て回ることができました。
しかし入場する前、お土産品の部屋の前には長蛇の列。もう少し早く来ていたら、人でごった返していたのでしょう。



こちらは「自殺の儀式」という作品。


上が「神の姿」
下が「命の限り」

下の「命の限り」はわかる気がしますが、上の「神の姿」というのがちょっとわかりません。なぜこういったイメージになるのか..... 


左上から「陽光の中で世界に平和を望む」、「幸福という言葉」、右下「人生を愛してきた私」、そして左下の「無限の心」。

「人生を愛してきた私」は、よく見ると、黒いげじげじの中には、沢山の眼が描かれていました。
彼女が水玉の幻覚以外にも、どんな幻覚や幻聴に悩まされていたのか、想像できそうなこともあれば、想像を絶することもあります。私が察するに、やはり「人の目」というのをかなり恐れていたのではないか、と思います。これだけモチーフに「眼」があるということは、そういうことではないか、と。
そしてそれでも人を愛し、人生を愛そうと努めている。そこに、並々ならぬ苦しみなどの負の感情とのせめぎ合いによって、こうした凄まじい作品が生まれているのではないか、そう感じられるのです。


愛したくても、その思いは醜い幻覚や死にそうになりそうなほど付きまとう幻聴によって、どうしても歪んだものになってしまう。愛し、愛されたい、特に愛されたいのだが、その前に恐怖で思いが素直に出せないばかりか、自己防衛のために逆の行動をとってしまう。

彼女の今現在の顔は、やはり長年の苦しみによってかなりの凄みがありますが、20代で日本を飛び出し、ニューヨークで前衛芸術に身を投じていた頃は、とても美しい容姿をしていました。

音声ガイドによって、今の彼女の声も、生で聴きました。年齢相応の声、そして疲れた、そしてまた取り憑かれたようなとも言える声でした。
絶え間ない創作活動が、彼女の生きるモチベーションとなっていることは確かで、自身も、「自分が死んだ後でも、人々に感動を与えられれば」と言っていました。

自分の生きる意味を作品として残すこと。苦しみが大きいだけに、作品も膨大なのだろうと思わずにいられません。作品を見ていて、これほどまでに心を揺り動かされたことはなかったです。

その他、性器をモチーフとした作品もあり、迫力満点でした。

同調する思いと、忌み嫌う感情のせめぎ合う、とても刺激的な作品展でした。
展覧会は、5月22日までです。
一度、自分の心とじっくり向き合ってみたい方、お奨めです。