2019年6月25日火曜日

断捨離の果てに  à la fin de " DAN-SHA-RI"

家の近所の紫陽花、ハイドランジア
今日は梅雨の晴れ間、という感じで、昨日までの雨が嘘のように晴れている東京です。

満開時
写真の紫陽花は、地元の、リハビリに通っている接骨院のそばのお宅の玄関前に咲いていたもので、今はもう、枯れ始めています。満開時のものです。

 このハイドランジア、亡き父と生前、園芸に凝っていた時に、どうしても手に入れられなかった花で、
今でこそポピュラーですが、20年以上前はまだ希少でした。
 こうして大株に育つと、剪定の仕方によるのでしょうが、真っ白なクリスマスツリーのようで、見るたびに心が弾みます。
とても上手に育てておられますよね。
 背景の濃いグレーの外壁が、
花の白さを一層引き立てているようです。

 さて、昨日は、タイトルにあるように、断捨離、しかも大きな断捨離としては最後になったと思われる断捨離を決行しました。
このマンションに残していた、実家に置いていた和の違い棚を処分したのです。


 この違い棚は、実家から持ってきていた数少ない家具でも、仏壇を別にすれば最後まで残っていた家具でした。ここに、亡父の、世界中を旅して集めた土産物品を飾っていたのでした。その土産物品たちは、仏壇の下の引き戸の中に丁寧に収めて、このようなまっさらな状態で記念写真を撮りました。

 処分をする !  と決めてから、実際に処分業者に来てもらうまで、たったの二日間しかありませんでしたが、その間ずっと、心は静かに興奮していました。いよいよこの家具も処分するのか? と、かなり逡巡もしましたし、兄や夫とも繰り返し連絡をして心を落ち着かせていました。それほどまでに、決意のいることでした。

  
 結果、やって良かった、処分して良かった、と思いました。父との和解は成立していたものの、父を象徴する物が常に視界に入っているのはおそらく、無意識のレベルでは辛かったのだと思います。なくなって、心からホッとしました。一抹の寂しさには責任を持たなくてはなりませんが。

 不思議なことに、ここ数年来悩み続けていた、「自分と手芸との関係」に、答えが出ました。「やりたい時にやればいい」、「やりたくない時でも、毛糸や編み棒などを捨てたりせず、大事に取っておこう」。つまり、「やるかやらないか ? やらないなら全捨てすべきでは ? 」という、ゼロか100か、というどちらかの極論に自分を持って行こうと躍起になっていたのが、その中間の、緩やかな選択肢に落ち着いたのです。

ちょっと距離を置いて考えれば、ごくごく当たり前の結論なのですが、それがここ3、4年できなかった。不思議です。
「やっぱり、何やかんや言っても好きなのだから」と、初心にかえることができたのです。


 好きなものは好きと言えなかった自分、否、好きと分かっていても身体が辛くて出来なかった自分に、「できる範囲で良いんだよ、やりたくない時は無理してやらないでやりたくなるまで放っておいて良いんだよ」父から、そう答えをもらったように思います。

実際に、様々な示唆やヒントをくださった友人たちにも心から感謝したいと思います。

鬱陶しい梅雨も、元気に乗り切れそうです。